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1992年 夏 私の記憶が確かなら、この年、どこかのグループがロケット花火を連発で上げてたんやけど、それが当時では考えられないくらいの時間上がりっぱなしになっているのを見て、ものすごく感激した!! 自分たちでもやってみようと思うが、花火を大量に買うお金がなく日は過ぎていった。 しかし、8月12日。この日はあっちゃんの誕生日。浜茶屋のおばちゃんがおこづかいをくれたので、その夜、あっちゃん、たっちゃんで10,000円ずつ出し合い、浜茶屋のお兄ちゃんにオマケしてもらい2000本のロケット花火とドラゴン30個を買う。 B.B.Q用の網2枚にセットし大勢のギャラリーの前で発射!! 大成功!? 「毎年上げてるの?」 「来年はいつ上げるの?」って言うギャラリーからの質問に気を良くしてしまい、思わず 「毎年お盆に上げてます!!」...こう、答えてしまったのが始まり。 1993〜1994年 夏 あっちゃん、たっちゃん。自称「和田浜の花火師」をかたりだす。冨士荘のよしみちゃん、大阪のひろちゃん、豊田のけん・だいすけ が加わり夜のハワイボート前はさらにパワーアップ!! もちろん、花火も(12000本前後)。 1995〜1997年 夏 年々、ファンが増え当日指定で来てくれる人たちも仲間に入り、ついに、20000本になる。当時ライバルだった大阪のサトウ工務店が、いつも前日か翌日に対抗して上げていたが、97年は30000本をあげることに。この年は負けていたと思う。 1998年 夏 前年、サトウ工務店に負けたことがきっかけで100000本に決定!! 毎年来て参加しているメンバーに声をかけ、4月から準備開始。法被も作り本格的に取り組むことに。東京から、たけちゃん、かずちゃんが参加。当日、予想した以上に観客があつまり、花火の方も大成功でとっても、盛り上がった。みんなの前で来年もやることを約束して、無事終わった。 メンバー集め(資金集め)がたいへんだった。赤字が50万円・・・?? 1999年 夏 この年も、準備は4月から行う。プロモーションビデオを作りメンバー集めを強化。ビデオの出来が非常に良かったおかげで300名もの人があつまることに!? しかし、当日は最悪の雨。せっかくの100000本も多くの観客の前で上げることが出来ず、メンバーと一部の観客とのプライベート花火となった。あの大雨の中最後まで協力してくれた花火師のメンバー・スタッフ、そして観客の皆さんには、心から感謝します。雨が降っても上げられるんやなぁ。 2000年 夏 この年は合計106001本のロケット花火を発射。年々増えて行く観客に戸惑いながら行われました。天候は、まあまあの空模様。時々沖からの風が強く吹くため花火の飛ぶ方向にも最新の注意が払われた。観光協会主催の映画上映の後、すぐにオープニングの火柱。そして... 2001年 夏 毎年、見に来てくれる人も増え、プチ渋滞が起きる事態に。10年ぶり?大阪チームの前座サイコー!そうそう、前夜祭のレゲー教室(笑)“火宴”もサイコー!もちろん、10万発も。みんな手際が良すぎたのかあっという間に上げきりました。と、いうことで、2002年は20万発に決定!!(簡単に言うなぁ!!) 2002年 夏 7月10日NPO法人花火師&雅女衆として活動開始。打ち上げ本数もいっきに倍の「20万発」に!TVにも取り上げられ、ポスターやチラシの効果があったのか当日の観客数は10000人を軽く超えた。30分に及ぶロケット花火の光と音のシャワーに遠くから訪れた人も大満足!? 2003年 夏 若狭路博2003の連携イベントとして「20万発ロケット花火大会」を開催。予想を大きく上回るお客さん約30000人(警察発表)には驚いた。しかし、この日は風向きが悪く、正面席は20万発分の煙を見る羽目に… 2004年 夏 またまたパワーアップ!30万発です!日曜日開催です! 当日は天気も風向きも最高でした。おかげで、今まででも最高の花火が出来たと思います。新しく考案した浮遊花火に、一斉10万発発射などなど。毎日夢に出てきます。 でも…赤字になったので2005年は花火の数は減るかも。 |
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